発症当日の状況

 2016年8月下旬、自宅で夕食を食べ風呂。夕食時に350mLの缶ビールを1本。その後焼酎約50mLの水割りを一杯。食事は普通に食べ、酔い心地も普通。血圧は測定していませんが、それまでの経験から130/85ぐらいだと思われます。

 風呂からあがって、早く寝て気管支炎を治さないと思い、9時ごろベッドへ。この時は咳も出ておらず、のどの痛みもなく、ごく普通のいつもと全く変わらない問題のない体調。

 ところが寝付いて30分ほどたった9時半になった頃、急に目が覚め、何となく体調不良を感じました。

 「こりゃ変だぞ」と思いましたが、何が変なのかよく分かりません。ただ頭が痛いようなクラクラするようなめまいを感じました。

 ちなみに最近になって息子にこの時の状況を聞いたら、発症は9時半ごろではなく、翌日未明の3時ごろだったと言っていますので、この辺りからすでに記憶があやふやになっていたと思われます。

 ともあれ「これはこれまでに感じたことがない症状だ」と思い、「もしかすると脳関連の疾患かも」と思い、「もしそうなら救急車を呼ばないと」と思い、すぐに私の寝室の隣の部屋で熟睡していた息子の部屋へ行き

 「○○!、起きてくれ。起きて救急車を呼んでくれ。お父さんの体調が変だ」と叫びたて、私は1階のリビングへ向かいました。

 すると2階の寝室から1階のリビングへ移動するための階段を下りているとき、まともに降りることができない妙なめまいを感じました。

 幸か不幸か階段には手すりをつけていたので、これにすがるようによろめきながら1歩1歩階段を下りましたが、足元が定まらないふわふわした妙な印象で、その間にも頭痛がひどくなっていきます。

 ちなみに我が家は父子家庭で、家族は私以外に大学生の息子しかしません。私の緊迫した声に、いつもはなかなか起きない息子も心配そうな声で起きてきて「何が起きてる?」と聞いてきますが、当然私にも原因不明ですから答えられません。

 どうにかリビングのテーブルの椅子にたどり着き、倒れこむように座り、そのままリビングのテーブルに突っ伏し、事態がどう変化するかを待ちます。

 やがて息子もリビングに降りてきて「救急車呼ぶ?」と心配そうな声で聞いてきましたので、「呼んでくれ」と伝えました。「たかが頭痛で救急車も変だな」と思いましたが、事態は私がこれまで経験したことがない方向に向かっているように感じられました。

 息子が電話をして、住所と現在の症状を告げる声が遠くの方で聞こえます。「少ししたら来るって」という息子の声に励まされ、よしあと10分ぐらいの辛抱だと自分を励ましていました。

 やがてピーポーピーポーというサイレンが聞こえ、自宅前に救急車が到着。こりゃ「近所の手前恥ずかしいな」と思いつつ、緊急だからしょうがない、と思い直して、息子に玄関のカギを開けるよう伝えます。

 すると3名ほどの救急隊員がどやどやとリビングに入ってきて、「大丈夫ですか?」「症状はどんな具合ですか?」「歩けますか?」「希望する病院はありますか?」などと質問されました。

 しかしその間にも私の方の症状は悪くなる一方で、めまい、生きぐるしさ、意識障害等が発生し、思考力も低下していき、最後の方は何を聞かれ、どう答えていたのかはほとんど記憶にありません。

 しばらくやり取りがあって、では救急車に乗りますが「自分の足で乗れますか?」と聞かれ「乗ります」と答えた記憶がありますが、実際にはどうだったのか不明です。次の記憶は救急車内で車内の天井を見上げていたことだけです。

 というわけで、救急隊員が駆け付けた頃は意識があったのに、救急車に乗り込むころにはほぼ昏睡状態に陥ったようです。

 その様子を見て、最初は普通に対応していた救急隊員も「これは緊急だ」と判断したようで、最優先で入院先の病院を見つけてくれたようです。

 当初は近所の病院へ搬送予定でしたが、途中で意識がなくなってしまったので、近所の病院から大学病院へ搬送先が変更になりました。搬送途中で救急隊員から話しかけられた記憶がありますが、何を話したのかさっぱり不明。さらに病院に到着し、病室への移動も全く記憶がありません。


大学病院に入院し緊急手術


第1章 発症から退院まで


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