手術後の初期の記憶

 病院到着後すぐに手術となったようですが、とうぜん記憶は全くないので、すでに昏睡状態だったと思われます。したがってここから先は、医師や看護士さん、息子にあとから聞いた話を総合して想像で書いています。

 ICU(緊急治療室)もしくは手術室に運び込まれたのと前後して、全身のCTが撮影。頭の部分のCT画像を見ると、大脳に向かう1本の血管の一部が膨れ、そこが切れていたようです。

治療法としては、血液の出血を止めること、そして漏れ出た血液を体外に排出することの二つです。正式病名は破裂性椎骨動脈乖離に寄る「くも膜下脳出血」。もう少し判断が遅れれば、今頃は全く別人になっていたかもしれません。

 さてくも膜下出血の場合の治療方法ですが、にじみ出た血液の除去、出血箇所の止血という二つのことを同時にやらないと行けないようです。

 またその方法ですが、今は血管の中を細い管を通して薬剤を入れるようです。ところが私の場合血管の動脈硬化が進んでいて、通常の場所(足のどこか)からは管が入らず、医師団はかなり苦労したようです。

 ただ幸いなことに、症状が軽かった?せいか、別の場所(腕のどこか)から管を入れ止血は成功。

 一方流れ出た血液は、別の管から少しずつ除去されたようです。ただしくどいようですが本人の意識は全くなし。この間に腰にはおしめが入れられ、男性の大事な部分には細い管が入れられ、垂れ流し状態

 ほぼ素っ裸同然の情けない姿だったと思われますが、そう思うのは命があったればこそ。医師団にとっては当たり前の姿だったと思われます。

 そのまま集中治療室で待機したのかどうかは不明。まあ裸同然の情けない姿で、病室かどこかで意識が戻るのを待ったのだと思います。

 その後、意識が戻ったのが翌日なのか、翌々日なのかは不明です。「○○さん、分かりますか?・・・・」という問いかけが聞こえ、「?????」と思いながら意識が戻りました。

 ただしその時医師と何を話したのか不明です。また言葉が頭の中で出かかっているものの、それが言葉にならないというもどかしさを感じました。麻酔の影響かなと感じていましたが、病気の後遺症もあったと思います。

 同時に自分は脳の病気で救急車で運ばれたんだということを思い出しました。ただこの時はくも膜下出血だったということを知らなかったので、なんだかしゃべるのがもどかしいなという印象です。

 数日後自分の正式病名を知り、発症直後の救急車を呼ぼうと考えた判断が早かったこと、救急隊員の手際が的確だったこと、運び込まれた病院での緊急手術がうまくいったこと、等が幸いして、大事には至らなかったことを理解しました。

 しかしその後も派生的な症状に悩まされました。まず顕著だったのが呂律がまわりにくいこと。記憶がベールをかけたようにぼんやりしている、というのが初期症状です。

 いったい何が起きたんだろう、と医師や息子との会話を手掛かりに、断片的な話をつなぎ合わせ、たぶんこうだったんだろうというように、自分で記憶を作ったような印象です。

 病室は4人部屋でしたが、最初は個室だったのかもしれません。同室の人たちの病気はそれぞれ。ただほぼ寝たきり状態の人が多かったようです。

 ただこのころ自分以外の人への関心は薄く、精神状態もなんか霧がかかったような状態で、明瞭な思考は難しかったです。


手術後に悩まされたこと



第1章 発症から退院まで


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